カンタレラ

『異教徒どもの様子はどうだ。ハインケル。』
車の中の無線から突如聞こえてきたマクスウェルの声にハインケルは跳ね起きた。
勢いをつけ過ぎて、ルームミラーに顔面をぶち当てた。
『日付が変わる頃に連絡しろといっただろう。』
溜息交じりの男の声に、顔を擦りながらハインケルは応える。
「すいません、局長。こちらは特に異常なしです。」
『しっかりしろ、由美江は別件で出動中で手が離せん。
おまえぐらいしか動ける奴がいないんだからな。』
ルームミラーを元に戻し、座りなおすハインケルに矢継ぎ早に言葉を投げる。
『吸血鬼育成に通じる手掛かりを掴む事は、
ヴァチカンと我ら十三課にとって 大いなる布石となる。
数十年前のポーランドの研究施設の研究成果は奴らによって塵に還された。
・・・あんなブルジョワ女にこれ以上のさばられて堪るか。』
まるで目の前に怨敵がいる様な声色で吐き捨てる。
「しかし何だって急に共同捜査になったんですか?
元々は十三課だけの任務であるべきですよね。」
『・・・それが妙なんだ。
ある枢機卿からのたっての頼みで路線変更をしなければならなくなった。
でなければヘルシング機関との共同捜査なんて死んでもやらない。』
・・・・何か変事があったら早急に知らせろよ。』
「了解です、マクスウェル局長。」
無線が切れた事を確認し、大きな欠伸を一つ。
・・・すっかり目が覚めてしまった。
煙草に火を灯し、紫煙を吐く。
ラジオから流れてくる音楽のボリュームを上げる。
ハンドルに身を凭れさせ、屋敷の方を見ると
まだ一部屋、明かりを落としきっていない部屋が見えた。



明かりを落とした部屋の中、ランプの光がインテグラの頬を照らしだす。
もくもくと渡されたファイルに目を通し続けてもう数時間経つ。
外はもう暗くなり、夜風が部屋に染み込む様に吹き込んでくる。
文字を追い続けてきたせいで、目と腰が痛んできた。
軋む背をうんと伸ばし、眼鏡を外した所で、部屋の扉がノックされる。

「・・・サー・インテグラル、もうお休みですか?」

屋敷の主の声が扉越しに聞こえる。
その声は張り詰めたインテグラの神経を揉み解す様な柔らかな声だった。
「いや、まだ起きていますよ。どうぞお入り下さい。」
入室を促す返答に、男は配膳台を押しながら部屋へ入ってきた。
「きっとまだ起きてらっしゃると思って、お茶をお持ちしたんですよ。
お仕事熱心なのはすばらしい事ですが、もっとご自分を労ってやらないと。
・・・・英国から取り寄せた茶葉がございましたのでどうぞ、お召し上がり下さい。」
屋敷の主自ら茶器を温め、手ずから紅茶を入れ始めたのを見て、インテグラは目を見張った。
「そんなお気を遣われなくても、大丈夫です。・・・・有難うございます。」
立ち上がろうとしたインテグラを目だけで制し、淹れたばかりの紅茶を差し出す。
インテグラは紅茶を受け取り、一くち口に含む。
穏やかな灰色の目が静かにインテグラを見つめる。
紅茶を飲み干すにつれ、カップの底に鮮やかな華が描かれている事がわかった。
「・・・美しいカップですね。紅茶の赤によく映える。」
「そのカップは母のお気に入りの物でした。
どんな種類の茶葉で淹れても、絵柄が映えるようになっているんです。」
レオナルドはセットのポットに指を滑らせ、懐かしむ様に目を閉じる。

「母は父の全てでした。
この屋敷に飾られている人物画は、全て母をモデルにして描かせた程です。
それほど完璧で素晴らしい人でした。
母が亡くなって数ヵ月後、父も後を追う様に亡くなりました。
軍の専用宿舎を住まいとしていた私は、その時にこの屋敷へ帰ってきたのです。」
レオナルドは首を傾げ、微笑を浮かべてインテグラを見つめる。
「貴女は少し、母に似ている。
・・・・あぁ、紅茶のおかわりはいかがですか?」
「頂きます。」空のカップをレオナルドへ手渡す。
「・・・私には父しかいません。母の面影も全く思い出せない。
その父も私が13歳の頃に亡くなりましたが。」
幼い頃に一度だけ、自分の母について父に尋ねた事がある。
その時の父の顔は今でも鮮明に思い出せる。
何かを堪える様な、憧憬にも似た色を瞳に宿らせ、
その深い青い瞳はインテグラのその奥にいる誰かを映していた。
結局、父の口からは何も語られなかったけれど、
どれだけ母を想っていたのかは、幼心にも推し得る事ができた。
インテグラもレオナルドのその表情に、自分に通じるものを感じてか
今夜はいつに無く饒舌だった。

「母は戦後も、父がレジスタンス活動に身を投じていた事を知りませんでした。
祖父と父が吸血鬼を生み出す恐ろしい機関について調査していた事も。
たまに父が軍の宿舎へそういった資料を送ってくる事がありましたが、
私にとってはあまりにも非現実的な事なので、信じていませんでしたが
父の遺品を整理して、これは現実なのだと分りました。」
椅子へ腰掛け、両手を組むレオナルドは何かを決意した風情だった。
「サー・インテグラル。」
深みを増した灰色の眼が今度はインテグラを射る。
「私は、父が調査していた、追い求めていた物の真実を知りたい。
父が、私に何を訴えかけようとしていたのかを知りたいのです。」
軍人らしい信念の剛健さに、インテグラは目を細める。

「明日は、私の従僕が貴方をしっかりと護衛します。
・・・あぁ、ご安心を、貴方の血は吸いませんから。」
思わず強張ったレオナルドを優しく諌める。
「・・・しかし、あの方が居るだけで部屋の空気が変わりますね。
強い瘴気に頭がくらくらしそうでしたよ。
真祖ともなると、随分長く生きてこられたのでしょうね?」
「彼はもう、死んでいます。
いや、死に切れずにこの現世を彷徨い続けていると言った方が正しいでしょうか。
我々ヘルシング機関に飼われて100年。
本人は500年は経たと言ってはいますが、それすらも定かではありません。」
インテグラはカップの絵柄をなぞりながら呟いた。
「そうですか、そんなに永く・・・。
明日は私も足手まといにならないように頑張ります。
こう見えても軍では射撃の腕は一目置かれているんですよ。
・・・あぁ、もうこんな時間なんですね。
貴女と話していると時間がいくらあっても足りない様に思います。
夜分遅くに失礼致しました。
もう数時間しましたらまたお迎えに参ります。
・・・・それまでごゆっくりお休み下さい。」
レオナルドは柔らかく微笑んで、ティーセットを手早く片付けた。
陶器の触れ合う音が、耳に心地よく響く。

ふと、レオナルドは手を止めてインテグラの方へ手を伸ばした。
インテグラは驚いてとっさに身動きが取れなかった。
その手はインテグラの髪先を指に絡め、軽く唇を寄せた。
「おやすみなさい、インテグラ。」
悪意無く人の良さそうに笑う男はそう言って部屋から出て行った。
しばらく固まっていたインテグラは、どさりとソファへ座り込む。
(い・・・イタリアの男って皆ああなのか?)
幼い頃から周りは年寄りばっかりだったインテグラは
そういった免疫の無い為に、どう反応してよいか分らない。
空気を変えるために慌てて愛用の葉巻に火を点ける。
夜明けまでにはあと数時間しかない。
解読も終わりきっていない資料を横目で眺め、一つ溜息をつく。

夜明けも近い頃、ハインケル率いる数名の十三課局員と共に、インテグラたちは屋敷を発った。
案内 された城は、トリノの南部、小さな島の端に建てられていた。