カンタレラ


「気が付いたかインテグラ。」

耳慣れた声が間近で聞こえ、頬に冷たい感触が触れている。
ゆっくりと撫でる様に動く冷たさに、顔をしかめ瞼を開く。
目の前には漆黒の闇と、アーカードの白い顔があった。
しゃがみ込み、インテグラの顔を無遠慮に覗き込む。

「・・・・何だ、私は死んだのか?」

壁に寄りかかったまま、インテグラは苦痛の声を滲ませる。
「何を馬鹿な事を。死の淵がこれほど明るいものか。」
インテグラの一言を鼻で笑い飛ばし、従僕は不遜に笑った。
痛みで翳む頭を振り、意識を覚醒させる。
よく見ると壁に燭代が置かれ、淡く炎を揺らめかせている。
後方からは老朽化した城が崩れる、鈍い音が尾を引いて耳に届く。
「ここは?」
「祭壇の中の通路だ。
回廊は潰されたからな。ここから抜け出すしかない。」
「・・・・・この城ごと道連れにするつもりなのか?
・・・・っ!そうだ、ハインケルと連絡を取らなければ。」
後頭部を擦りながらよろめき、立ち上がる。

「俺ならここにいるさ。」
アーカードの背後からインテグラ以上に負傷したハインケルが
ヒビの入ったサングラスを掛け直しながら答える。
「よく祭壇の入り口が分かったな・・・。」
驚いて目を見張ると、不機嫌そうな声が返ってきた。
「お前の従僕が手招きしていたからな。」
生粋のカトリック教徒が敵である吸血鬼に命を拾われるなぞ、
ハインケルにしてみれば、憤然とした思いだろう。
思わずにやついたインテグラにハインケルの鋭い眼差しが飛ぶ。
「貴様こそ無事だとは思わなかったぞ。
てっきりレオナルドに喰われたかと思っていた。
こっちは神父隊は全滅するし、死にかけたんだぞ。」


ハインケルは太腿に銃を挟み込み、片手で銃に弾を込めた。
頬を伝って血が顎から滴り落ちる。
拭おうとすると、肩から血が噴き出す。
数刻前、インテグラと行動を共にしていたはずのレオナルドが
ハインケルの目の前に突如として現れ、神父隊を一瞬にして壊滅させた。
灰色だった瞳が狂気を帯びた赤色に変わり、人間離れした運動能力で銃弾を獣の様に避ける。
血の海の中に投げ出されたハインケルはそのまま気を失い、
何かが焦げる様な臭いで目を覚ました。

両腕が上手く言う事を利かない。
指の曲げ伸ばしでさえやっとだった。
レオナルドの手によって神父隊が壊滅状況であること、
孤立し、異教徒どもと連絡が取れないという事。
懐の携帯無線機でマクスウェルに何度か通信を試みるが、一向に応答が返ってこない。
それを壁に叩きつける気も起きず、うな垂れて壁に身を任せたとき
礼拝堂付近から風が微かに吹き付けるのが解った。
床を這って近付いてくる煙と火の手に、麻痺しかかった意識が戻ってくる。
おそらくは火の手から逃れているであろうそこへ、ハインケルの足は自然と向いていった。


「・・・こんな状態では上に何も報告できん。」
ハインケルの言葉に思い出したかの様にインテグラは顔を上げる。
「そうだ、カンタレラの研究について報告をせねばならん。
この抜け道の何処かに研究施設がある様なんだ。」
「あんなものを見る必要はない。」
後ろから切り込む様にアーカードは話に割り込んだ。
「城は崩れ続けている。
焼死したいのか?圧死したいのか?インテグラ。」
上から押えつける言い方が癪に障ったが、言っている事はまともだ。
溜息をつき、抜け道を進むアーカードの後を追う。
こうしていても確実に崩壊の音は近付いてきている。
薄暗い抜け道を潜り抜けると、中庭の片隅に出ることができた。

外はもう夕闇が近い。
立ち上る炎が夕闇に紅く映える。
仕掛けられた爆薬で巻き起こった炎が、翼廊から回廊を通って礼拝堂まで燃やし尽くす。
焼ける様な風が後ろから吹きつけ、インテグラの肺を焦がす。
とぐろを巻いた炎は風を起こし、崩れた城壁に沿ってインテグラ達を囲んでゆく。
「城門が閉じているぞ、・・・どうするんだ!」
中庭で足を止めたハインケルは焼けた城を振り返りながら叫んだ。
周りには日の勢いを弱らせてくれる物は到底見当たらない。
そして逃げ場所も。
着実に炎はインテグラたちを取り囲んでいった。
このままでは三人、いや二人とも燻され煙に巻かれ死んでしまう。
おもむろにアーカードは近くにあった井戸を覗き込んだ。
「・・・無駄だ。その井戸は枯れてしまっているんだぞ。」
苛立ちながらそこへ近寄ったハインケルは、
アーカードに首の根を掴まれ、いきなり井戸の中へ放り込まれた。


「ぅあああああああぁぁぁぁ・・・・・!!!」

断末魔に近い悲鳴が壁に響きながら底へ吸い込まれていく。
「・・・意外に深いな。」
「アーカード、お前何て事を!?」
足を庇いながら走った為に出遅れたインテグラは、その凶行に思わず怒鳴りつけた。
「問題ない。カトリックは総じて丈夫と相場は決まっている。」
井戸へハインケルを投げ込んだアーカードは鷹揚に頷く。
(・・・初耳なんだが。)
真面目に返事を返すのも馬鹿らしく、インテグラは今の惨劇を黙殺した。
人の心配をしている場合ではない。
自分の身が危険に晒されているのだ。
助かったらハインケルの件は、ヴァチカンには不慮の死だったと伝えよう。

「城作りにおける井戸の構造は大きく二点に分けられる。」

こんな状況で見当違いな講義を始めようとしている従僕に、インテグラはあっけにとられた。
「お前・・・・いきなり何だ。」
「あらかじめ水が貯められる様に地下で貯水式になっているか、
真水が出るまで堀り続けるかの二点だ。
特に後者は地形によっては費用が莫大なものになる事も多い。
ましてやこんな海に浮かぶ小島の城など、よほど深く掘らねば真水など出てはこん。
城内の装丁からして、当時の城主はこの城には金をあまり掛けてはいないらしいから、
井戸を掘る大金は惜しんだだろう。
だが、潮の臭いがここからすると言うことは
この井戸はどこかしらで海に通じている。
この井戸は水を汲み上げる為に作られた物ではない。」
「・・・・そうか、脱出口か。
・・・とすればここから海に逃げ出せる可能性が高いな。」
「ご明察だ、我が主。さあ、いくぞ。」
インテグラを抱きかかえ、不死者の王は井戸に身を躍らせた。

臓物がひっくり返るような感覚の後、水しぶきが顔面にかかった。
奇妙な浮遊感の後、口の中へ海水が一気に流れ込んできた。
むせながらアーカードへ必死にしがみ付く。
「おっ、おい!水だぞ、アーカード!平気なのか!?」
自らを抱き抱える従僕に、慌てて声をかけた。
しがみ付かれたアーカードはびしょ濡れだというのに上機嫌で片眉を器用にあげた。
その様子にほっとしたインテグラは辺りを見回す。
数時間前に落ちた地下水路の一部だとは直ぐに察しが付いた。
ハインケルは隅の方で四つん這いになり、肩で息をしていた。
舌打ちをしながらアーカードを睨みつける。
「アーカードそろそろ降ろせ。自分で歩ける。」
「舌を噛むぞ。黙っていろ。
そんな足では抜け出すのに時間が掛かり過ぎる。
こうして行く方が手っ取り早い。」
「・・・俺も負傷してるんだが・・・。」ハインケルがぽそりと呟くと、
アーカードは振り返りもせずに言葉を返した。
「生憎、男を抱き抱えて逃げる趣味など持ち合わてはおらん。自力で走れ。」

(・・・・帰ったら特製自家栽培のニンニクでも送りつけてやる。)

暗然と胸の中で呟いたハインケルにインテグラは不審気に顔を向ける。
「そういえば、私はこの水路の構造は大体分かるぞ。
さっき相当彷徨ったからな。
壁に印を付けている。それを辿って行けば外に出られるかもしれん。
確か一箇所外へ出られる道があったはずだ。」

まるで道を知っているかの様に
すいすいと壁の目印に目もくれずアーカードは進む。
不思議そうな顔で従僕を見つめると言葉が返ってきた。
「お前の血の匂いが壁に残っている。目を瞑ってでも走れるさ。」
「薄気味の悪い事をうれしそうに言うな!」
抱き抱えられているせいで思い切り頬を叩けない。
正直なところ、こうしているととても楽だ。
足はもう殆ど感覚を失くして棒切れのようだったし、
そこから城が崩れてゆく振動も直には感じない。
足を伝って死が近付いている様で不快だったが、
抱かれている今ではそれを感じなくて済む。
もちろん、男の心臓の音も聞こえないが。

「・・・そうだった、鉄格子がしてあったんだった。」
ようやく行き着いた出口には鉄格子がはめ込まれていた。
人間には数人がかりでも取り外せない、しっかりとした作りの様だ。
「アーカード、お前何とかできないか?」
途方に暮れたインテグラがアーカードを見やろうとしたその時、

「ハインケル様、インテグラ様、いらっしゃいますか?」

唐突に外側から声がした。
崩壊音に掻き消される程小さなものだったが、
ハインケルは夢中で鉄格子に走り寄り叫んだ。
「ここだ!この中に居る!助けてくれ!!」
直ぐに数名の男達が格子に駆けつけ機械でこじ開ける作業に取り掛かった。
男達は腕にヴァチカンの腕章を付けていた。
ほっとすると急に体中の力が抜け、インテグラは急速に意識を手放していった。


爆音と共に残されていた門塔が破壊され、回廊へと炎が吹き込んでいく。
それは空に黒煙を染み込ませ、黄昏色に染まった空に更に陰影をもって染め上げた。
中型クルーザーの上へ担架ごと引き上げられた
インテグラとハインケルは直ぐに救護班の手当てを受けた。
輸血用の血液が大量に準備され、岸には病院へ搬送するヘリが手配された。
「遅かったな、中で死んだかと思ったぞ。」
甲板から不躾に声を掛けてきた男に、ハインケルは目を開けた。
「・・・・マクスウェル局長。」
「無線は繋がっていたぞ、そっち側の応答が見られなかったがな。
報告は後で受ける。その姿のままだと見苦しいからな。ゆっくり休め。」

意識を取り戻したインテグラはアーカードを呼びつけ、身を起こさせた。
インテグラの額から零れる血を指で拭い、舐め取る。
その仕草を止めさせたいのに、体が鉛の様に重い。

「・・・なぁ、アーカード。
お前は自分が吸血鬼になったと分かった時、何を思った?」

フランシスが棺に爪を立ててしがみ付き、
自ら炎に包まれた姿がどうしても忘れられない。
そして地下牢で見た本物のレオナルドの姿も。
年月を経た石が音を立てて砂に還る音を聞いていたアーカードは言葉を返さなかった。

「人は皆、若さや永遠を求めるが、
それは自らを化け物に変えてまで得る必要のあるものなのか?
老いも病も無くなり、永遠の若さを手に入れたとしても・・・・
轍(わだち)を残して消えてゆく、限りある命の煌きには敵わないと思うんだ。」

最後まで無言だったアーカードは、一度だけインテグラを見た。
その瞳には、憎悪も執着も憧憬も、狂気さえも写していない。
ただ、インテグラだけをそのまま写していた。

漆黒の波間に、炎に包まれた城がゆらゆらと揺れる。
水面は赤く、白く波打ち、夕映えの黄昏色と交じり合って。