![]() |
![]() |
|
|
夜よ、ひそやかに今 アリスがベッドの上でごろりと寝返りを打つと、冷たいシーツがひやりと肌をかすめる。 この非常識でめちゃくちゃな世界に迷い込み、 自分の意思で帽子屋屋敷を滞在先に決めた。 初めは良かった。 双子たちの殺伐とした遊び(到底"遊び"と言えるものではないが)にも、 エリオットの胸焼けするニンジン騒動にも、 年齢不詳のマフィアのボスのねちっこい紅茶談義にもつきあえた。 正直、面倒臭がりで臆病なアリスには体力的にも精神的にも 疲労が積もる毎日だったが、純粋に楽しめた。 元の世界に居た時よりも、誰にも気兼ねする必要が無いせいか何もかもが本当に楽しかった。 それを全部ぶち壊してくれたのは他でもない、屋敷の主ブラッド=デュプレその人だった。 "暇つぶし"と称してアリスを好き勝手弄んだ。 謳うような口調で囁く言葉ひとつひとつがアリスを蝕む。 それは薔薇の花の様にアリスをがんじがらめにしては甘い棘で心に消えない痕を刻み付ける。 はたから見れば、マフィアのボスと情婦という構図に見えるのだろうか。 自分はそんな関係は望んでいないのに。 散々に弄ばれたその後で、泥のような体で脱ぎ散らかされた下着やドレスをかき集めるあの虚しさ。 そんなアリスの心情を逆撫でする様に、 ブラッドの言動がおかしくなったのは関係を持って少し経ってからだ。 毎日届くプレゼントも格段に量が増えたし、 会話の中にアリスの友人の名が出ただけで急に不機嫌になったり、 屋敷に届くアリス宛の手紙はブラッドの検閲が入る様になったり、 アリスが外出すると必ず組織の構成員に尾行させたりした。 そんな訳で、今自分が遊園地に匿ってもらっているのもブラッドに筒抜けだろう。 少しの間だけでも良いから一人になって、あの剣呑と殺気に満ちた爛れた生活から抜け出したい。 ゴーランドは良い友人だ。アリスのそんな気持ちを理解して自分の領地に匿ってくれた。 「アリス」 部屋の入り口にいつの間にかゴーランドが立っていた。何故か楽しそうだ。 というか扉を開ける前にノックしないのはこの世界の住人のマナーなのだろうか。 ゴーランドはいつも持っているバイオリンをライフルに変えている。 アリスが怪訝そうにそれを見たのに気がつき、ゴーランドは楽しげにライフルを肩に担いだ。 「外、見てみろよ。始まったぞ。」 ゴーランドの言っている意味が解らず、不思議そうな顔をしたままアリスは外に出てみた。 いつのまにか時間帯は夜になっていた。 遊園地はキラキラと色鮮やかなイルミネーションが煌いていて、アトラクションも照り輝いていた。 しかしそこにあったのは、人々の悲鳴と叫喚だった。 “それ”と遊園地独特の陽気なメロディが重なり、 アリスの背中をざわざわとざわめかせる。 一際大きい爆音がそう遠くない距離で爆発し、火柱が上がった。 銃を乱射する音も続いて聞こえ始める。 アリスには何が起こっているのか解らない。 いや、うっすらと原因は解り始めてきた。 なだれをうって逃げ惑う人々の中に、滞在先の屋敷の使用人達の姿がちらりと見えたからだ。 アリスは自分が震えているのに気がついた。 決して寒くは無いのに、手足が冷たい。冷えていく。凍えそうだ。 ゴーランドは傍らに立つアリスの肩を叩いた。 「これはあんたのせいじゃない。」 楽しそうに覗き込んでくる遊園地のオーナーの目をアリスは正視できなかった。 握りしめすぎて白くなった指をゴーランドの手がゆっくりと解く。 「あんたを自分一人のものに、籠の鳥にしたいと思うのは、なにも帽子屋だけじゃないさ。」 混乱しすぎて何も考えられないアリスにゴーランドは追い討ちをかける。 「良い友人を演じるのもそろそろ限界だったからな。・・・だから丁度良かったさ。」 つんざくような銃声をどこか遠くで聞きながら、アリスは思い出していた。 この人当たりの良いオーナーも、この国の三大勢力の一端だったと。 善意だけでこの地位を築けた訳では無いということを。 「帽子屋はあんたに惚れてる。それも心底な。」 真剣な声に、思わずアリスは顔を上げる。 「違う!違うの、違うのよ!」 「違わねえさ。」 たたみかけるようにゴーランドが言う。 「あんたはそれを認めたくないだけだ。・・・そして自分の気持ちに気づきたくないんだろ?」 かちりとアリスのポケットの中の小瓶が音をたてた。 「ま、俺には好都合だがな。」 いつもの人の良さげな顔で笑うゴーランドの顔が目の前にあった。 「・・・しっかし思ったよりも乗り込んでくるの早かったな。予定狂っちまった。」 アリスを横目に見ながら、部下へ指示を飛ばす。 「そろそろ部屋に戻りな、銃撃戦になるぜ。」 ゴーランドと遊園地の従業員に促されて部屋に押し戻される。 「・・・帰る心の準備が出来たら、出てきな。それまで時間かせいでやるよ。」 くしゃっとアリスの髪をなでながら、ゴーランドがかがみこむ。 月明かりと火薬の臭いに包まれながら、 アリスはただ、じっと手の中の小瓶を握りしめている事しかできなかった。 |
||
![]() |
![]() |