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薔薇の楔 人々の悲しみも、嘆きも、妬みや嫉妬も。 我らが偉大な女神、シモンの前では意味を成さない。 ありとあらゆる禁忌をその紫の裾で覆い隠す。 恋人達の密やかな睦言でさえも・・・。 金色の縁取りをした天蓋から伸びた薄布が、広い寝台を包む。 僅かな月明かりが、しんしんと部屋に光を投げかける。 「ん・・・。」 うっとりとスチュアートの愛撫に身を任せていたアイリーンは、 急に身を離した恋人をぼんやりと眺めた。 僅かに息を乱したスチュアートは、女の私から見ても本当に色っぽい。 スチュアートの顔は闇の中でも分かるほど紅潮し、 汗で銀糸の髪が幾筋か頬へ張り付いている。 こちらをじっと見つめたまま、 何かを言いたげに口を開いたり閉じたりを繰り返す。 かと思えば、 目を泳がせながら咳払いを繰り返し、本当に咳き込む。 怪訝そうに眉をしかめると、気付いたのか 肌に這わせていた手に僅かに力が入ったようだ。 (さっき飲ませた自白剤が切れたのかしら?) 実は自分が飲ませたのは媚薬だと気づかないアイリーンは 半分脱がされた服をかき集め、二杯目を作ろうと こっそりと寝台を抜け出そうとした。 「スチュアート、大丈夫?お水持ってくるわ。」 言葉を言い終わる前に、腰を片手で引き戻される。 「喉など渇いていない。ここにいろ。」 半ばドスの聞いた声に、 アイリーンは素直にスチュアートに身を寄せた。 「・・・私はお前を愛している。 お前から贈られた物は必ず受け取ったし、 必ず倍にして礼を返した。そうだよな、アイリーン。」 静かに、だが否やを言わせぬ口調でアイリーンに詰め寄る。 「え、ええ。そうね。あんたの言う通りだわ。」 (目が完全に据わってる・・・。) 冷静さを欠いた男の様子に、アイリーンは一抹の不安を感じた。 「私とお前は恋人同士だよな?」 「えぇ、そうよ?」 「では、よもや恋人の頼みを、私の頼みを無碍にはしないだろうな?」 「事と次第によるわ。」 少しの間、二人の間には完全な静寂が降りた。 その静かさを消し去る様に、 銀糸をなびかせ、スチュアートは顔を上げる。 「“あれ”を着てくれ。」 「あれ?あれって何よ。」 不思議そうにそう尋ねると、意を決したかの様に立ち上がり、 アイリーンを弾き飛ばす様に部屋を飛び出した。 隣に設えてあった衣装部屋から一枚の布を引っ掴み、 扉から半分程顔を出し、アイリーンへ問いかけた。 「言っておくが、私にそういった趣味はない。 お前だから見てみたいだけだ。 間違っても私を白い目で見るな。いいな。」 「・・・わかったわ。」 「本当か?」 「本当よ。」 「本当だな?」 「ええ。」 「絶対に本当だな。」 「・・・本当。」 「本当に本当に本当・・・」 「くどい。さっさと言って!」 いらつきながらも、アイリーンがベッドへ腰を下したのを認めると スチュアートはゆっくりと寝台へ近付いてきた。 「・・・目を瞑ってくれ。」 「嫌よ。」 当然のようにアイリーンが返すと、 スチュアートはいよいよ体を震わせ、アイリーンの肩を掴んだ。 「愛しいお前に、手荒な事はしたくない。 だが、男にはどうしてもせねばならん事があるのだ。」 「理由を教えてくれれば目くらい閉じるわよ。」 「・・・・・全く、お前という奴は 空気の読めない女だな!そんなだから前の男に逃げられるんだ。」 「それ禁句よ、スチュアート。死にたいの?」 それに逃げられたんじゃなくて、私が捨てたのよ。 と壮絶な笑みと共に、片手で首を絞める。 「わ、悪かったアイリーン。そんなつもりで言ったんじゃない!」 「・・・・・・・・。」 「な、何か言え。反応しろ!」 ふぅ、と溜息をついてスチュアートの頬を両手で包み込む。 「・・・・いいわ。目、瞑ってあげる。 ただし痛い事や気持ち悪い事はしないでね。 破ったら、地獄を見るわよ?」 「約束する。あぁ、アイリーン!」 心底愛しそうにアイリーンを抱きしめる。 (普段はムカつく程そっけないのに、 ベッドの上だとどうしてこう人懐っこいのかしら。) ふと胸を通り過ぎた呟きに、自分で赤面する。 その数秒後、耳元で囁かれたとんでもない提案を 羞恥心に気を取られて、アイリーンは気付かずに返事をしていた。 ・・・・自分は何でこんな事をしてるんだろ。 フリルの付いた、カチューシャを頭に留めて、 ガーターベルトの紐を留め、 エプロンのリボンを結びなおす。 それら全ての作業をスチュアートが行う。 ・・・・まさかあの時買ったメイド服を この男が後生大事に取ってあるとは思わなかった。 「着せ替え人形遊びなら他をあたってよ。」 振り返りながら白い目で見ると スチュアートは全く意に介していない様だ。 「こら、動くな。 こうした方がもっとお前は可愛くなる。」 楽しそうな男の顔を見て、溜息をつきながら前を向く。 「お前をこんな風にできるのは私だけだ。 なぁ、そうだろうアイリーン?」 「・・・・知らないわ。」 生き生きと動かしていた手をぴたりと止めて、 背後から凍てつくような吹雪をアイリーンに吹き付ける。 「どういうことだ。」 先程までの甘ったるい空気はどこかへ行ってしまった。 返答を間違えたと確信してはいるものの、 ちょっと訂正しようかなとアイリーンは思ったが、 正直めんどくさいし、この男相手にはきりが無い。 後ろを向いたまま男の頬に手を寄せ、軽く片頬に口付ける。 凭れるように背中を預けると、少しは機嫌が浮上した様だ。 「ねぇ、私がどれだけあんたの事を好きだと思う?」 「少なくとも私がお前を思っているよりは明らかに僅かだろうな。」 くすっと笑ったアイリーンは身を翻してスチュアートを押し倒す。 「な、・・・お前、急に何を・・・・。」 驚いたスチュアートはアイリーンの笑顔を見た瞬間、息を止めた。 いつものアイリーンとは違いそこには妖艶な顔があった。 「私はね、スチュアート。あんたの為なら、 メイド服だってナース服だって何だって着てあげるわ。 この国で手に入る財宝は全てあんたの物としてもいい。 富も、名誉も好きなだけ私があげるわ。 この身も心も地位さえもシモンに明け渡しても構わない。 それであんたの心が手に入るのなら安いものよ。 ただ、口先だけで愛を囁かれるなんて堪えられないわ。」 漆黒の闇を溶かし込んだ様な夜色の髪が 緩やかにスチュアートの頬を滑る。 それと同時に首筋にアイリーンの両手が掛かっているのが分かる。 夜風が天蓋の中に甘い香りを運び、 枕元に置かれたキャンドルの炎がゆらりと揺らめく。 「いつだって本当はこうしていたかったのよ?」 アイリーンは、抗い難い誘惑に身を任せるように目を閉じる。 「アイリーン・・・。」 常に無い、穏やかな呼び声にゆっくりと瞼を開く。 仄かな淡いオレンジ色の光が、アイリーンの藍色の瞳に写り 火花の様な黄金色に変わる。 思考を捻じ切られる感覚がスチュアートを苛む。 まるで女神シモンの様に、目に見えぬ策謀と誘惑の糸で 四肢を絡め取り、その魂から虜にさせられてしまう様だ。 無意識に腕を伸ばすと、 たどたどしく指を絡めてくるのが途方もなく愛しい。 「あぁ・・・アイリーン。 お前のその瞳は、幼い頃から私の胸を焦がしてきた。」 愛しそうに頬を撫で、流れるような銀糸の檻でアイリーンを包む。 僅かに聞こえる男の呻きと女の嬌声が 密やかにギルカタール王女の寝室を彩る。 淡く光る様な磁器の肌は、到底砂漠生まれだとは思えない。 薄く開けた口に、自らのそれを重ね合わせ、深く貪る様に噛み付く。 スチュアートの広い背に腕を回し、縋りつくように絡める。 銀糸が広い背から滑り落ち、アイリーンの肌へ降りかかる。 にやりと横目で笑う男が耳元で甘く囁く。 「アイリーン、愛している。証明してやるからな。」 |
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