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緋色の道化と藍色の騎士 その日、珍しくインテグラは一人でロンドンの街中を歩いていた。 父、アーサーの墓参りの帰りだった。 人ごみの中で、黒い服が異様に浮いている。 ウォルターがしつこく付いてくると言っていたが、自分はもう15だ。 しとしとと小雨の振る中、傘も差さずインテグラは人ごみの中を歩く。 丁度2年前の今日、インテグラの父アーサーは亡くなった。 その最期は病床に就き、インテグラとウォルターが看取った。 まだ13歳のインテグラには、ヘルシング機関の局長として 様々な事を短期間で学ばねばならず、一気に重責がその背に圧し掛かった。 『父上は私がこんなに早くヘルシングを継ぐとは思っていなかっただろうな。』 もし解っていたら、叔父上の家督を狙う野心を知っていながら放置するはずがない。 なによりあの化け物を封印から解く術を私には教えなかっただろう。 『あれから2年経つが、私は本当に組織の長としての勤めを果たせているのだろうか。』 『未だにアイランズ卿やペンウッド卿の助力無しでは、 円卓会議で発言の一つも出来ない。』 ふとした合間にそんな事を考えては、自分の不甲斐なさ、頼りなさに嫌気が差す。 『もっとヘルシング機関長としてふさわしくなりたい、父のように。』 そう願う一方で、影から誰かの声が聞こえてくる。 『こんな何も出来ない小娘がヘルシング機関の長?お飾りだな。』 『アーサーは良くやっていたが、娘は駄目だな。能無しだ。』 『ヘルシング機関もカラーズ娘の代で終わりだな。』 自分の頑張りをよそに、確かにそういった声が聞こえてくるのも事実だった。 かけていた眼鏡が雨粒で曇る。 何も見えない。 それでもひたすら前を向き、歩き続けるインテグラを、街行く人々は いぶかしげに、怪訝そうに、時には憐憫を含んだ目で見つめる。 毛色の変わった小娘が小雨とはいえ、 傘も差さず夕闇の街中を喪服で歩いているのだ。 目に留まらない方が珍しい。 石畳の上の水溜りが、信号の色を反射して、街一面が色づく。 信号が赤になり、横断歩道で立ち止まる。 雨もだんだんと小降りになってきたが、インテグラの髪と服はびしょぬれになっていた。 意外に父の墓から屋敷までは距離があった事をインテグラは今更気付いた。 『天気予報では明日からが雨だっていっていたのに。』 こんな事なら、最初からウォルターに車で送ってもらった方が良かったのかもしれない。 少しだけ後悔し始めたインテグラの頭に、影ができた。 「びしょぬれだぞ、我が主。」 真紅のコートで体を包まれ、驚いて声のする方向を見上げる。 「あ・・・アーカード、あなた・・・」 あっけに取られて声が出ない。 不死者の王がロンドンの街中に突然現れた。 全く表情を映さない男は、夕霧に今にも溶け込みそうだった。 「どこかのカフェで雨宿りしようと思っていた所よ。 あなたなんかに気を遣って貰わなくても結構。 大体、あなただって傘を差してないじゃない。」 コートの奥深くへ抱きとめられ、縛り付けられる様な体勢で背を伸ばす。 しっとりと露を含み、顔に張り付いた黒髪を避けてやる。 「吸血鬼って水が苦手じゃなかったの?」 ほんの少し心配そうな光をのぞかせた瞳がアーカードを真っ直ぐに捕らえる。 「私にとっては水など屁でもない。 そんな事よりインテグラ、小娘の一人歩きには遅すぎる時間だぞ。 涙なんぞ死してからはついぞ流した事はないが、そんなに乾くのに時間が掛かるものか? アーサーの墓前で泣いたとしても何の意味もあるまい。」 ふん、と鼻をならして吐き捨てた言葉に、 インテグラの纏う空気が一瞬で緊張したのがわかった。 今日、インテグラがウォルターや屋敷の者を付けずアーサーの墓前に向かったのは 無意識に、ヘルシング機関や自分を取り巻くしがらみから逃れる為だった。 国の特務機関である、『ヘルシング機関』の局長の重責は とても13歳になりたての少女が負えるものではなかった。 周りの大人たちは誰もが自分に大人同等の責任と品格を求め、 インテグラの中の無垢な精神を殺そうとした。 自分の未熟な判断で、部下が一人、また一人と死んでゆく度に 指揮官としてインテグラの焦りは募る一方だった。 最近では同じ夢ばかりみる。 寝ている自分に、もう一人の自分が覆いかぶさり首を絞める。 歌でも歌いそうなそぶりで段々と指に力を込めてゆく。 あたりは真っ暗で、物音一つ聞こえない。 自分の張り裂けそうな心臓の音だけが、部屋中に響く。 場面が変わり、死にそうになった自分が教会に佇んでいる。 先程とは180度異なり、自分は白い光に包まれている。 ふと前を見ると、台座に一つ、小さな棺が置いてある。 いかにも貴族の棺らしく豪華な装飾が施されている。 誰が納められていいるのか知りたくて、そっと蓋を開けてみた。 そこにあったのは父の亡骸だった。 生前の、病気になる前の覇気などかけらもなくそこにあった。 思わず驚いて、蓋を閉めようとすると父がインテグラの腕を掴んだ。 そんなはずはない。 父は既に死んでいる。 ではこの腕はいったい? 混乱するインテグラに、棺の中の父がにこやかに語りかける。 「お前は失敗作だった。」と。 「こんなはずではなかった。」と。 生前の父の声そのままに、しかし紡ぎ出される言葉は 鋭い刃の様にインテグラの柔らかい心を切り刻む。 夢から覚めたインテグラはしばらくは金縛りにあった様に動く事ができない。 父の墓に赴けば、何か少しは変わるかと思ったが、そうでもないらしい。 夢の中の父を思い出し、ヘルシングの跡継ぎとして申し訳なくて涙が止まらなかった。 それをこの化け物の男は知っているというのだろうか? 青い瞳は赤く充血し、瞼は腫れ、鏡を見なくても 自分が今、悲惨なありさまだという事がわかる。 今が夕方でよかった。 もうすぐ夜が来て、この無様な顔を人に見られなくて済むから。 アーカードの頬へ伸ばした手を引っ込め、顔を背ける。 それでも抱きしめる男の腕の強さは変わらない。 「だんまりか、お嬢さん。」 うつむき、黙り込んでしまったインテグラにアーカードは追い討ちをかける。 何か言おうとするが、言葉が出てこない。 自分が従えるべき従僕に言いくるめられるなど、あってはならないのに。 ふいにインテグラの視界が変わった。 アーカードの肩に、荷物のように抱えられている。 「な・・・っ!?」 「黙っていろ、舌を噛むぞ。」 状況が飲み込めないインテグラにアーカードは無感情に言い放つ。 「やっ、やめて!どこに行く気!?」 慌ててスカートの裾を押さえようとするが、この体勢では無理があった。 図体だけは無駄にでかいこの男はインテグラがいくら暴れようと、びくともしない。 すたすたと人ごみを縫うように歩く不死者は インテグラのそんな抵抗にも気にも留めていない様だった。 しばらくしてたどり着いたのは、ウエストミンスター宮殿の対岸にある、 巨大観覧車、通称“ロンドン・アイ”だった。 夕闇が深くなり、一つ一つのゴンドラに明かりが灯されテムズ川に反射する。 藍色の空の色と相まって、とても幻想的な風景だった。 直ぐ傍で自分を下ろしたアーカードは、当然の様にチケット販売所へ向かう。 「!・・・ちょっと待って、もしかしてこれに乗るの?」 状況を把握しようとインテグラは、あわてて男にしがみ付いた。 搭乗待ちの人ごみに押し流されそうになる。 無言でこちらを見た男は鷹揚に頷く。 あっさりと搭乗券を買い、インテグラの右腕を掴んでカプセルへと乗り込む。 カプセルの中は広々としていて、観光客向けのガイドスタッフが待機していた。 スタッフへ向かってアーカードは数秒何事か囁くと、 無言でガイドがカプセルから降りた。 それだけではなく、一緒に同乗しようとしていた人達を力付くで外へ追いやった。 外からのブーイングが聞こえる中、 先程のガイドスタッフは静かにカプセルの錠を締めた。 その目は黄土じみた赤色に染まっていた。 あっけにとられていたインテグラが、気を取り直したのはしばらくしてからだった。 降りようとしても既に遅く、乗り込んだカプセルは地上から離れ ロンドンの景色を映し出していた。 ガラス張りの箱の中で逃げようもなく、インテグラは諦めた様に椅子に座り込んだ。 「・・・今の人に何をしたの?」 「少し魔眼を使っただけだ。」 厳しい目で睨むインテグラに事も無げに言い放つ。 「これに乗るのは初めてだろう?インテグラ。」 足を組み、ふてぶてしい態度でアーカードが話しかける。 「ええ、初めてよ。でもどうしてここに連れて来たの?」 「お前が泣くからだ。」 その一言で忘れかけていた緊張が甦る。喉の水分が自然に奪われてゆく。 「・・・何?私を子供扱いしてるの? 私、泣いてなんかないわ。・・・誰もかれも私を子ども扱いして・・・!」 立ち上がろうとしたインテグラを目だけで制する。 「人に頼る事もなく、また、頼る術を知らぬ人間をどうして大人と呼べるものか。」 不遜な態度は崩さず、その真紅の瞳でインテグラを見据える。 「挙句の果てに自分で自分を追い詰めている事にも気づけぬとは、傑作ではないか。」 口の端を歪め、足を組み直す男に、インテグラは頭に血が昇った。 「何が可笑しい!この化け物っ!お前なんかに私の気持ちが分かってたまるもんか!!」 吐き出すように、目の前の男に吹き溜まった感情をぶつける。 「分からずとも結構。小娘の考えている事なぞ下らな過ぎて興味も沸かん。」 「・・・・・っ、お前は私を蔑みたいの?なぐさめたいの?どっちなのよ・・・。」 「両方だ。」 悪びれもせずに飄々と言う。 「お前は、何のためにヘルシング機関局長の座に就いた? 志半ばで死んだアーサーの意思の為か? アイランズ初め、ペンウッドや円卓議会のご老人どものご機嫌を取る為か? はたまた周りに流されて? 違うだろう。 英国国民の命を守る為にお前は局長になったのだろう? 闇夜から忍び寄る不死者どもから人間を守る為にお前がいるのだろう?」 ふと外を見たアーカードにつられて、景色を見やった。 僅かに地平線に薄紅色のひかりとオレンジ色の光が混在する。 宵闇が近い、藍色の時刻だ。 死者の蠢き出す時刻だ。 「糞の様な外野の誹謗中傷にいちいち自分の評価を委ねていては、ぬかるみに嵌るぞ。 自分可愛さに殻に閉じこもるのは結構だが、周りはたまらんぞ。 いくら手を差し伸べたくとも、当の本人が手を取らんのだからな。」 はっとしてアーカードを見るが、男の視線はまだ外の景色を見ていた。 「・・・私の時は政治的にも精神的にも国一つを 自分の背で背負わなければならんかった。 城の塔の上から眺める灯り一つ一つに生命があり、それを守る為ならば 残虐非道と、血の通わぬ鬼と他人に罵られてもかまわなかった。 ・・・まぁ、今は実際に生命の血を吸う鬼にはなっているのだがな。 昔の事だ。朧け過ぎて、今となっては、その感情の輪郭すらも分からぬ。」 噛み締める様に呻く男には、いつもの狂気じみた雰囲気は見られない。 沈黙が降りたカプセルの中、インテグラとアーカードはただひたすら 宵闇に包まれていくロンドンの街を見ていた。 「アーカード。」 「・・・何だ。」 しばらくしてインテグラはアーカードに話しかけた。 『ありがとう。』 照れくさくて、声にはできなかったが、男には分かったらしい。 いつもの狂気をにじませた笑いを浮かべた。 じっとロンドンの街の光を見つめ続けるインテグラのその瞳には、 もう一切のしがらみを振り切った、清廉な光で満たされている。 人々を守る凛とした藍色の騎士の姿に、アーカードは心の中で頭を垂れた。 |
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