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Prisoner of Love その日のブラッドはいつになく機嫌が悪かった。 時間帯が夜になっても一向に気分の浮上がみられない。 自分の部屋に篭り、大量の書類と睨みあっている。 かといってペンを握る訳でもない。ただひたすらに書類を読んでいるのだった。 ピリピリとした張り詰めた空気がこの部屋だけではなく、屋敷中に広がっていく。 ブラッドの目は、マフィアのボスらしい酷薄な冷たさに満たされていた。 不機嫌そうに葉巻に火をつけ、紫煙を口に含む。 『成る程な・・・。』 にやりと口の端だけで笑い、一枚の書類を机に叩きつけた。 書類にはアリスの写真が貼り付けられ、その横にびっしりと文字が敷き詰められていた。 よく見ると、アリスの友人関係やその日半日の行動内容が克明に書かれている。 もしこの世界に裁判所と言う物があるのなら、 アリスはストーカー被害で勝訴できる内容の代物だ。 質の良い革で作られた手袋で、書類に添えられたアリスの写真をなぞる。 あの空間から無理矢理連れ戻し、妻にしてもうどのくらいになるか。 時間の狂ったこの世界では断定するのは難しいが、1年は経っているはずだ。 だが彼女は私の妻として、夫を持つ身としては余りにも自覚が無さ過ぎる。 あちこちの“友人”という名ばかりの男どもと逢瀬を重ね、 夫である私を蔑ろにしている。 ケーキを焼いただの、今読んでいる本の話なぞ、 私だけに話しに来たら良いじゃないか。 そもそも最近の挙動不審さは何だ。 屋敷内でばったり会っても、すぐさま身を翻して逃げてしまう。 お茶会に誘っても返事は『NO』ばかり。 終いには私の部屋に来る事も無くなった。 どんなに彼女好みの書物を買い揃えても、部屋をノックする音は聞こえはしない。 ・・・・完全に浮気だ。 彼女にはきついお灸を据えねば気がすまない。 二度と屋敷から出られない様に、脚を切り落としてしまおうか。 こんな事になるのなら、あの時、気まぐれを起こさず 帽子屋ファミリーの全勢力を傾けてでも、やつらの勢力を叩き潰しておくべきだった。 そうすればアリスは私の事以外には何も興味を持たなかったはずなのに。 いらただしげに葉巻を灰皿に押し付ける。 室内温度がどんどん下がっていく中で、微かに扉を叩く音が聞こえた。 「・・・ブラッド?・・・いる?」 どこかおどおどとしながらアリスが扉から顔を出した。 「いるとも。」 椅子に深く座ったまま、ブラッドはアリスを部屋の中へと招きこむ。 「こんばんは。随分久しぶりに顔をみた気がするよ、奥さん?」 表面はにこやかだが、この部屋を包む雰囲気はどんどん重々しいものになってきている。 それを自らの肌で実感するアリスは、俯いたままソファに座るしかなかった。 「・・・私、ブラッドに言わなきゃいけない事があるの。」 「ほう、・・・それは奇遇だな。私も君に聞きたいことがある。」 器用に片眉を上げるブラッドをアリスは横目でちらりと見た。 「ブラッドが怒るのはもっともだわ。今回は私が全面的に悪いもの。」 「ふむ。」 酷薄そうな笑みは消す事はなく、アリスの横に腰を下ろすブラッド。 「殊勝な言葉だが、上っ面だけで謝られても一向に心は動かされないのだがね?」 はっとしたアリスはブラッドの顔を真正面から見上げた。 「上っ面だけだなんて、私は・・・そんなつもりじゃ、」 エプロンドレスの裾を握り締め、揺れる瞳がブラッドのそれとぶつかりあう。 「では聞くが、奥さん。 今まで散々夫であるこの私をなおざりにしていたのはどういう事だ。 挙句の果てに屋敷には滅多に戻ってこず、 久しぶりに戻ってきても私を避けるとは・・・ 随分な夫婦関係もあったものだな。そうは思わないか?」 「・・・・・・・っ。」 思わず視線をブラッドから外す。 「こちらを見ろ、アリス。」 体ごとブラッドの方を向かされ、もたれていたクッションが床に転がる。 凍りつくような空気がアリスを包む。 「私は君を愛しているが、我慢にも限度があるぞ?」 目を細めてアリスにかけるプレッシャーを増してゆく。 「結婚指輪まで外すとはな。」 「・・・え?」 きょとんとしたアリスに憮然としたブラッドが睨みつける。 「ブラッド・・・知ってたんじゃなかったの?」 「何をだ。」 思わず言葉を漏らしたアリスは、しまったとでも言う様に口を押さえる。 無言の圧力にアリスはしぶしぶ口を割った。 「5回くらい前の時間帯かしら。私、ケーキを焼いたの。 ラズベリーとクランベリーのプチケーキ。 なかなかベリーソースが上手くできなくって・・・」 「そんな所までは聞いていない。」 真剣な目で見つめ返されて、口をつぐむアリス。 「・・・それで、その時だとは思うのよ。」 「だから何がだ。」 焦れた様に顔を近づけるブラッドに、アリスは深くソファに沈みこんだ。 「指輪を外したの。だって、汚れたら嫌じゃない。 普段は滅多な事がないと外さないから。 でもそれがいけなかったのよね。」 俯きながら淡々と呟くアリスに怪訝そうにブラッドは首をかしげる。 「・・・なくなっちゃったの。指輪。 ごめんなさい・・・、ブラッド。 それで怒ってるんでしょう? せっかくの結婚記念日に焼いたケーキのせいで、 ・・・ううん、私の不注意のせいで指輪をなくしちゃったから。」 『結婚記念日』と『指輪』 思いもしなかった単語がアリスの口からでた事で、ブラッドの思考回路は混乱した。 物事が上手く繋がらない上に、先が見えない。 てっきり相手の男の名前が出てくるとばかり思っていた。 「屋敷中を探しても全然見つからないから、遊園地とか城とか色々探したんだけど ・・・全然見つからなくて。屋敷に帰るタイミングなくしちゃったの。」 僅かに濡れた瞳に後悔の影が揺れている。 「アリス・・・。」 今までのプレッシャーを嘘の様に潜ませて、アリスの髪に指を絡ませる。 「指輪なんてまた買えば済む事じゃないか。」 「ちがうの。」 ブラッドの口付けを額に受けながら、アリスは呟く。 「結婚する前からブラッドからはプレゼントをもらってたけど、 あれは初めてブラッドとお揃いで贈られたものだもの。 あれじゃなきゃ嫌。」 小さい子供が拗ねる様にブラッドの胸元に顔をうずめ、イヤイヤと顔を横に振る。 結婚当初はあれほど元の世界に戻りたがっていたのに。 かたくなに自分を拒んで、結婚式の宣誓もしなかったのに。 こんな日がこようとは。 あまりのアリスの可愛らしさに、深く胸に抱きこむブラッド。 素直に身を任せるアリスにいよいよ自制の念が切れて、そのまま押し倒す。 「や・・・ブラッド、ここじゃイヤ。言ったでしょ?」 「すぐに何も分からなくなるさ。」 帽子をテーブルに投げ飛ばし、襟元のタイを緩める。 次第に深くなる口付けに、アリスの意識が朦朧とし始めた。 ブラッドの手袋をつけたままの手が腿へと伸ばされ、擦るように撫で上げる。 その時、机に積み重ねられた書類の束が音を立てて崩れ落ちた。 流されかけていたアリスの意識が戻り、ブラッドの腕の中から身を捩って抜け出す。 心の中で舌打ちをしたブラッドは、崩れ落ちた書類を見て青くなった。 「お仕事の邪魔して悪かったわ、こんなに書類が・・・」 床の上に散らばった書面の中に、自分の名前と写真を見つけて拾い上げ様としたアリスの手が止まる。 「なによこれ。」 先ほどとは打って変わって、 アリスから堅気の人間からはとても出ないようなオーラがでている。 「いや、それはだな、アリス、あれだ。君が心配で、その、なんだ、」 「ブラッド。」 にっこりと微笑んだアリスが、般若に見える。 「言い訳は聞きたくないわ。」 ゆっくりとブラッドの傍へ近寄り、優雅に片足を上げた。 「この腐れ××××!」 目にも留まらぬ速さで踵でブラッドの足の甲を踏んだ。 何度も何度も。 対するブラッドはあまりの激痛に声も出せず、上半身をソファの上でのたうちまわらせた。 「信じられないっ!滞在先変えてやる!もう離婚よっ!!」 「っが・・・!まっ、待てアリス、私は」 トドメとばかりに先ほど転がり落ちたクッションを顔面に投げつけられた。 数日後、アリスの左薬指に、薔薇の花をあしらった指輪がはめられていた事は別のお話。 |
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