Omerta


限界だ。もう無理。
この男を止めてくれるんなら何でもする。
帽子屋ファミリーの一員となってしばらく経つが、もう限界だ。
下される任務はほとんどこの男の身の回りの世話。
最近はこの男以外の人間と口をきいた記憶もない
出勤場所が上司のベッドの上ばかりだなんて、何の為にファミリーに入ったんだか。
シーツの上のアリスは虫の息で僅かに身じろぎし、
自分に覆いかぶさる男を睨みつける。
「そんなに可愛い瞳で見つめないでくれ、お嬢さん。
これではまだ足りないのかな?」
ブラッドはベストの前をはだけさせ、髪をかきあげながら微笑む。
『・・・足りないどころか充分過ぎて殺意が沸くわ!』
声にならない叫びをあげ、ブラッドから顔を背ける。
笑いを噛み殺す様な声が聞こえたが、完全に無視した。

アリスがブラッドからの呼び出しでこの部屋を訪れてから、数時間帯が経っていた。
帽子屋ファミリーの任務内容にこんな事が含まれているなんて聞いていない。
絶対に聞いてない。聞いていたらこんな屋敷になんか一時でも滞在するものか。
こめかみにキスをしてくる男を押しのけて起き上がる。
「ブラッドっ、・・・あなたこれパワハラよ!」
カラカラの喉から搾り出した声は弱弱しく、ブラッドはひるむ様子をみせない。
サイドボードに乗せていた水の入った瓶を、これ見よがしに見せ付ける。
「水だ。飲みたいか、アリス?」
クリスタルカットの施された瓶から小さなグラスへ、冷たい水が注がれる。
「・・・のみたいわ。」
思わず考えた事をそのまま口にだしてしまう。
その答えに満足そうに諸悪の権現は頷く。
「私も自分の部下の要望に応えてやりたいが、そうは簡単にいかない。
じつはこの水はとても高価でね。市井の者がそうそう飲める様な物ではないんだよ。
だが、可愛い君の頼みだ。直属の部下の頼みだ。
条件さえ飲んでくれれば、直ぐにでもこれを飲ませてやろう?」
謳うように軽快なリズムをつけて、組みし抱いたアリスに語りかける。
アリスは極度の疲労のせいか、ブラッドの提案に何も疑いを持たなかった。
「わかったわ、その条件って何なの?」
「待った。その前に・・・。」
おもむろに取り出したスカーフでアリスの両手首を縛り上げた。
「!?・・・ちょ・・・っ」
「こうしておかないと、君は尊敬する上司に危害を加えてしまいかねないからね。」
『このド×××っ!××野郎が!!』
喉が痺れてきて心の中でしか罵倒できないのがくやしい。
おおよそ淑女たるものが一生口に出さないであろう言葉を、心の中であらん限り投げつけた。
「さて・・・、本題だ。
君には友人という親しい男が何人かいるようだが
それら全ての男の名と、関係を持ったかを言え。それが条件だ。」
「は?」思わず聞き返してしまった。
「浮気をした男の名を言えといっているんだよ、お嬢さん。」
芝居じみた声色を一切消した声で再びアリスに問いかける。
その冷たい声に呆然としたアリスに、ブラッドは小首をかしげる。
「おや、喉が渇きすぎて答えられないのかね?
では少しだけ水をあげよう。」
グラスから直接水をもらえるものだと思っていたアリスは、軽く口を開いた。
だがその唇に触れたのは、硬質なグラスではなくブラッドの唇だった。
口を開けてしまっていた為に、容易にブラッドの舌が滑り込む。
少しぬるくなった水だが、アリスの体に一瞬にして染み込んでいった。
しかしその一瞬の癒しは、更なる渇きを促してしまう。
もう少しちょうだい、とブラッドを薄目を開けて見る。
ブラッドの顔に酷薄な意地の悪い笑みが浮かぶ。
「今はこれ以上は駄目だよ。素直に男の名前を言えばもっとやろう。」
口から僅かに零れ落ちた雫を手袋を外した手で拭う。
「わ、私浮気なんてしてない!
みんな良い友達だし、第一あんたとそんな関係になった覚えはないわ!」
「嘘はいけないな、お嬢さん。まだシラを切る気かな?」
ブラッドは呆れた、とでもいう様に肩をすくめた。
ベッドを軋ませて、アリスに覆いかぶさる様に覗き込む。
「私の言い方が不味かった様だ。
君が付き合っている連中は、ほとんどが私達、帽子屋ファミリーの敵対勢力だ。
君を疑っている訳ではないが、重要な情報を友人だからといって簡単に口外されては困るんだよ。
念のため、ボスとして君がどの程度の友好関係を築いているのか知りたいんだ。」
たしかに今思い浮かんだ友人たちは、帽子屋ファミリーと勢力を競い合っている。
しかもその勢力の中枢を担う者達ばかりだ。
さすがにマズかったかもと今更ながらに思い始めたが、
自分が帽子屋ファミリーに属する前に築いた友好関係を、
いくら組織のボスの命令だとはいえ大広げにする様な事はしたくない。
視線をブラッドから逸らすと瞳が不機嫌そうな色を帯びた
「言いなさい、アリス。・・・言わないのなら先程の続きをしても構わないんだぞ?」
舌なめずりでもしそうな様子にアリスの体が強ばる。
「ブラッ・・・やだ!やめ、ちょっ、・・・んっ!」
首筋に更に痕をつけようと、歯列がアリスの薄い皮膚をなぞる。
何とか続きに持ち込まれない様にもがくが、両手首を縛られていて抵抗ができない。
痕をつけた後、ねっとりと舐め取るようにその場所に舌が這わされる。
「アリス、覚えているか?」
顔は伏せたままでブラッドがアリスに問う。
「・・・・・?」
ぼんやりとした頭で霞がかったブラッドを見つめる。
「君がこの組織に入ったときの誓いを。」
忘れるはずがない。組織の掟はアリスの命そのものだ。
「私の血を分け、君のそれと交じり合った。」
うっとりと呟くブラッドは恍惚とした表情をしている。
「その時からアリス、君は組織のものであり、私のものでもある。
私以外の事に囚われる事も、心に他の人間を住まわせる事も、
私に対する誓いを破ったという事と同じなのだよ。」
ここでブラッドが顔を上げた。
焼け付きそうな何かに囚われた熱を帯びた瞳に射すくめられ、
アリスの思考までもが焼き取られるようだった。
こんな瞳のブラッドは知らない。
いつもの芝居がかった口調で、だるそうにしているブラッドからは到底
想像も付かない今のブラッドは、アリスの心を大きく掻き乱した。
漏らす吐息の一つ一つがアリスの脳を痺れさせる。
思わず唇を動かすアリスに、ブラッドの食い入るような視線が纏わり付く。
しばらくして紡ぎ出された名に、満足そうにブラッドは頷く。
約束していたご褒美に水が与えられ、アリスはこくこくと染込む様に飲み込んだ。
水を口移しで与えているブラッドの、
どこかを見据えた凍てついた絶対零度の瞳を見ることもなく。





マフィアED後のブラアリ。
結果、アリスは後々尋常じゃない後悔をしそうなんですが、
そこはまぁ、置いといて。