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Happy holic 「あんたいつまでそうやってる気?いい加減仕事行きなさいよ。」 真っ昼間の玄関先で思わず怒号を飛ばしてしまった。いい加減めまいがしてくる。 「それはこちらの台詞だ、お前こそ何考えてる。」 「…あんたねぇ、玄関先に立ってから何時間経ってると思ってんの!?朝9時から3時間よ!?」 起き抜けからベタベタひっついてくるスチュアートを引き剥がして、 食事を済ませようやくエントランスまで押し出した。 今こうしていても、やたら髪を触ってくる。 「もう…何かあるんなら言いなさいよ。」正直疲れた。 「アイリーン」 「何?」 「…本当にわからないのか?」指に巻きつけた黒髪に口付けながら目を細める。 「まったくわからないわ。はっきり言ったらどうなのよ。」 「……はぁ。」 「な…何よ。」呆れたようにスチュアートは俯く。 「…ス…を…」 「は?」思わず俯いたスチュアートの顔をまじまじと見てしまう。 「…っだから、その、“行ってらっしゃいのキス”…をだな…」心なしか目尻が赤い。 若干私の頭はフリーズした。 馬鹿か。 真性の馬鹿か、この男は。 たかが“いってらっしゃいのキス”のために3時間も粘るアホがどこにいる。 いや、いた、ここに。 ・・・昼の日差しが刺さるように痛い。 「人づてに聞いたのだが、この国には出勤前の夫に妻からキスを贈る風習があるらしい。」 スチュアートが真剣な目で真正面から見つめてくる。 「毎朝、必ずやるらしい。やらないと女神から神罰が下るらしいぞ。」 「・・・・・・・。」 どんな天罰だ、どんな。 白い目で見返すと、身振り手振りで事の重大さを説明してくる。 その全てを完全に無視してエントランスから蹴り出す。 「向かいの若夫婦はしているぞ!いや、全員だ、全員!」 体勢を立て直しながら、スチュアートが叫ぶ。 ・・・やめてくれ。子供か。 肩を鷲掴みにされ、揺さぶられる。 「キスくらい良いだろう!唇でも頬でも構わんぞ。」 子供の様に上から目線でキスをねだる男ははじめて見た。 ギルカタールでは怜悧でプライドが高く、頭も切れると評判だったのに。 「まさか・・・他に男がいるのかっ!?」 どうやったらそういう方向に思考が行くのだろう。 「ちがうわよ・・・もう大の大人がキスごときで騒がないでよ。」 頭痛までしてきた。いい加減、この茶番を終わらせなければ昼寝ができない。 「キスごときとは何だ!・・・その間男の名前を言え。殺してやる!」 「・・・あのねぇ、こんな監禁に近い状況で間男なんて作れるはずないでしょうが。」 ギルカタールから亡命同然で二人で逃げだしてきた。 嫉妬深いと自分で言っていたが、本当に監禁に近い状況で閉じ込められるとは思ってなかった。 出歩く時は必ずスチュアートと一緒で、屋敷の使用人以外とは口も聞いた事がない。 必ずヴェールを着せられ、誰にも顔を見せてはいけないという決まりも守っている。 まぁ、・・・それでも好きだから一緒に居続けるのだけれども。 「では何故キスをしない。」 憮然とした表情のまま、重々しく口を開くスチュアート。 『いや、まさかいってらっしゃいのキスをせがんでるとは思わなかったから。』 『大体、キスならいつでもしてるじゃないの。』 『それに昨夜だって、あんた、あんなに・・・』 と言い返しそうになってやめた。私にだって羞恥心はある。 「そういう気分じゃないもの。する必要はないわ。」 天性の天邪鬼の性格が災いして、思わず口から思ってもない、ひねくれた言葉が出てしまった。 「ほぅ・・・いい度胸だな、アイリーン。やはりそんなにその間男の事が好きなのか。」 火に油を注いでしまった。しかも話が戻ってしまっている。 非常に面倒くさい上に、しつこい。 もう限界だ。 アイリーンが俯いた事に気づき、スチュアートの表情が怪訝なものに変わる。 しばらくして顔を上げたアイリーンの表情にスチュアートは固まった。 『な・・・っ、泣いているっ!泣かせてしまったっ!』 っ・・・と一筋涙が頬をつたう。 スチュアートの服の裾にぎゅっ、としがみ付き、目を合わせる。 「スチュアート、違うのよ。あなたの事は愛してるけど、 外だと、何だか照れくさくって、・・・・恥ずかしいの。」 か細い、震えた声でアイリーンがつぶやく。 「わかってくれる?」瞳に涙を潤ませてニコ、と微笑んだ。 頬をかすかに紅く染めて、スチュアートは頷いた。 「・・・お前の気持ちはよくわかった。私が浅はかだった。許してくれ、アイリーン。」 −−−−−かかった。 抱きしめられた胸に顔をうずめて、にやり、とアイリーンは笑った。 母がよく使ったウソ泣きも真似てみるものだ。 母のようには直ぐには涙は出なかったが、これから練習すればいい。 「家の中なら良いんだな。」 納得したように鷹揚に頷く。 「は。」 気がつくと、足が地面から離れていた。 自分の置かれた状況が解らない。視界が高くなっている? ・・・これはいわゆるお姫様だっこというやつか。 見慣れた家の中の景色がどんどん変わってゆく。 「ち、ちょっと!スチュアートっ!」 「愛しいお前に対して、配慮が足りなかった。これは私の落ち度だ。償わせてもらう」 着実に寝室へ逆戻りしているのに気づき、暴れるがスチュアートは意に介さない。 「冗談じゃないわよ!昨日あんまり寝てないんだからっ! 償わなくていいから、仕事行きなさいよっ!!」 「遠慮しなくていいぞ、アイリーン。」 「してないわよっ!」 「妻を満足させるのは夫としての勤めだ。」 キィと器用に片腕でドアを開ける。 「愛している、アイリーン。」 流れる様に顔を傾けてくる様があまりに自然で、美しくて、思わずひるんでしまった。 薄い唇が自分のそれに重なる。 『まさか、違うスイッチが入るなんて・・・もうウソ泣きなんか二度としないっ!』 次第に深くなる口付けに意識が持っていかれる。 寝室のドアが閉まる音がどこか遠くに聞こえた。 |
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